
こんにちは、Mr.Nobodyです!
ついに「黄泉のツガイ」が4巻まで発売されましたね!
手長足長との戦いや、様々な勢力の裏の顔が明らかになってきた衝撃の巻でした!
今回、個人的に特に気になったのは手長足長が封印されていた経緯。
この記事ではそこらへんの内容を色々と考察していきます!
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※ここから下はネタバレが含まれるのでご注意ください。
手長足長とは?
「黄泉のツガイ」の手長足長
手長足長は「黄泉のツガイ」3巻にて初登場したツガイです。
かつて人を食べるなどの悪さをしていたため、とあるお坊さんによって病悩山に封印されていましたが、田寺ケンによって解放されます。
残忍な性格をしており、田寺ケンの命令には全く従いませんでした。
4巻では田寺リュウの家にてユル達と戦闘になり、敗れます。
妖怪としての手長足長
「手長足長」という妖怪の伝承は秋田や福島、長野、九州などで残されており、手や足が異様に長いことが特徴としてあります。
福島県の伝承では、会津に住み着いた手長足長が雲をつかんで移動させたり、水をすくってばらまいたりしたことによって、雨続きの日々が続いたそうです。
畑仕事ができず困った会津の人たちを助けるため、空海が手長足長をツボに封印し、磐梯山に埋めたそうです。
手長足長を封印したのは空海?

ここまで手長足長について作中での活躍や、現実での伝承について紹介してきました。手長足長を封印したとある者についてここから考察していきます!
空海が手長足長を封印した?
福島県の伝承では手長足長は空海によって封印されています。また黄泉のツガイの手長足長も名前は明かされていませんが、坊主に封印されたと明言されていることや高野山にいると左右様が言っていたことから、空海が封印した可能性が高いと思われます。
ところで空海とはいったいどのような人物なのでしょうか?
中学校の教科書で目にしたものの、もう忘れてしまったという人は多いかもしれません。そんな方のためにざっくりとした解説を書いておきます!
空海(くうかい)は、平安時代初期の僧侶で、真言宗の開祖です。774年に讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれ、835年に高野山で亡くなりました。空海は、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらしました。また、能書家でもあり、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられています。
Bing AI より引用
”坊主”はまだ作中で生きている?
4巻の序盤、「あの坊主はどうなった?」という足長の問いに対して右様は「高野山にいるらしいとは聞いているが」と答えている。一見普通の会話に見えるが、1箇所おかしいところがあることに皆さんはお気づきだろうか?
坊主(空海)は平安時代の人物であり、この会話は固定資産税やら消防法に気を使わなければならない現代で行われている。「高野山にいる」ではなく「高野山にいた」という回答が発せられるべきではないだろうか?
この表現では空海はまだ生きていることになる。
なぜ何世紀にも渡って空海は生きているのか?考えられる可能性は2つ。空海がツガイである可能性と、何かしらの方法で死を克服した可能性。
真言宗の総本山「高野山」には空海が入定(瞑想によって生きたまま仏になること)した場所があり、1200年もの間1日2回食事が運ばれていることから、空海が生存しているという噂もあるそうです。
黄泉のツガイで空海がまだ生きているということは十分考えられそうですね!
いつか作中で登場する日が楽しみです!
まとめ
以上、手長足長が封印された経緯に関する考察でした!
いかがでしたか?
これからも「黄泉のツガイ」に関する記事をアップしていく予定なので、ぜひまた当サイトを訪れてください!
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